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2016.11.01

葬送儀礼の構造

葬儀と言えば、お釈迦さまが説かれた仏教に基づく葬送儀礼というのが一般的な認識だと思います。

しかし、葬儀のすべての儀礼や習俗を仏教思想だけでは理解することができません。
実は、日本の伝統文化を象徴する冠婚葬祭は、東洋の仏教、儒教、道教、そして日本古来の神道など、それぞれの系譜の異なる宗教思想の強い影響を受けているのです。

日本仏教の成り立ちを考えると、インドで誕生した仏教は、シルクロードを経由して、中国に伝わり道教・儒教と融合することにより、インド仏教から変質して中国仏教となり、この中国化した仏教が日本に伝わったのです。

そして、日本では、この中国仏教という外来思想の受容の過程で生じた理論である本地垂迹説、さらに、日本的霊性の反動とも言える神本仏迹説などを通して、神道と仏教が衝突、融合を繰り返して日本独自の仏教である日本仏教が形成された訳です。
この過程で、とくに日本古来の山岳信仰が神仏習合によって「修験道」として成立したことは、日本人の基層信仰の生命力の強さを感じます。

そして、私たちの日本仏教を「葬送儀礼」の視点から、その構造を分析すれば、自然信仰に基づく神道の<穢れ・祓い>、神道と同様に中国の民族宗教である道教の<祈禱>、招魂再生という儒教の<先祖祭祀>、追善供養に基づく仏教の<往生・成仏>という儀礼の重層複合的構造をなしていると言えるのです。
 
そして、この日本仏教の「葬送儀礼」が成立して行く過程で、私には原始神道すなわち日本人の基層信仰が植物の根が水を吸い上げるように影響を与えているように思えるのです。

それでは、この日本人の基層信仰とは何でしょうか。

哲学者の梅原 猛氏の学説によれば、その信仰は、遥か縄文時代にまで遡ります。
梅原氏によれば、私たちの先祖である縄文時代人の他界観は「あの世とこの世は全くアベコベの世界で、この世とあまり変わらない」というもので、この世で壊したものはあの世で再生し、この世の夜はあの世の朝となる、すべてが鏡像反転しているという他界観です。
 
故人があの世に向けて旅立つ、すなわち出棺のときに死者の茶碗を割る「逆さごと」という習俗があります。
この習俗の意味は、絶縁儀礼として「死者が二度と戻って来ないようにするもの」とも言われます。
すなわち、この恐怖感は、怨霊信仰として日本人の宗教観の特徴の一つに挙げられます。また、この茶碗を割るという習俗は、仏教儀礼としては、成仏・往生への過程、「死者に死の自覚を促し、より完全な死者にすること」と説明されています。
そして、この世で破壊したものは、あの世で再生するという梅原氏の説く日本人の基層信仰に基づいていると考えることもできるのです。
葬送儀礼を媒介とする仏教と民衆の結びつきは、五百年前から始まったと言われています。
この葬送儀礼には、日本人が培ってきた精神文化が集約されているように思います。
 
日本人は、昔から外国の文化を取り入れることに優れていました。

日本人が素晴らしいと思うのは、それら思想が融合し合って、日本の新しい文化を生み出していることです。
最近の葬儀においても、祭壇を中心とした葬儀から棺を中心とする葬儀にかわっています。
そして、故人との対面を重視した欧米のエンバーミングという遺体衛生保全処置が広がっているのです。
これは、キリスト教の宗教思想や文化から影響を受けていると言えるかもしれませが、日本的な霊性は決して失われていないと思います。
何故なら、日本人エンバーマーが遺体を処置する際、よく遺体に語りかけると聞くからです。

まさに、私には、エンバーマーは、現代のシャーマンのように思えるのです。

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